大慈寺は興国元年(暦応三年、一三四〇年)の創建、開基は志布志城主、楡井頼仲 閉山は玉山玄提和尚である。創建の後、光明天皇より「広慧」の宸筆を下賜されて大慈広慧禅寺と称し、文安元年(一四四四年)臨済宗十刹の列に加えられている。 大慈寺は臨済宗京都正法山妙心寺の末寺であるはじめは京都五山の東福寺に属し、二代剛中は後に寺五十四世として本山に往持している。妙心寺に転じからも、西院・龍雲・万安・柏川の各住職が勅請の綸を賜って妙心寺に住持している。藩政時代の大慈寺領五九二石、寺域八町四方、盛時には寺内に一六の僧房が並び、禅門に学ぶ雲水百を超え藩内の末寺は十余ケ寺に及んでいる。 明治二年の廃仏棄釈により、大小の殿堂を全壊し一時は廃寺となったが、明治十二年官許を得て寺号復、相川の隠居所のあった旧大慈寺宝池庵跡に再興して現在に及んでいる。 なお当時の廃仏の中で、寺に蔵した寺宝、古文書の大半を保管し得たことは、奇跡に近く、郷土の文化に与える影響ははかりしれないものがある。 |
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明治二年廃仏棄釈によって廃寺となった律宗秘山密教院宝満寺の遺跡である。 |